【体験談】 MF-ICUへ入院出産を希望していた病院から救急車で転送された先は大学病院。総合周産期医療センター、つまりMF-ICUへの入院となりました。 まだ状況がわかっていなかった私。 新しい病院で言われた言葉は 「すでに、子宮口も3センチひらき、いつうまれてもおかしくない状況です。」 でも、私はそれを避けるために、入院してたはずじゃ? いつ生まれてもおかしくない、って何?? 頭は全然ついてこない・・・。 とりあえず、手術をする予定で入院したのだ、と主張する私。 「子宮口がすでに3センチひらいていて、、 縫う手術をすると、余計赤ちゃんが危険にさらされるので、 この状況では手術は不可能です。」 「それどころか、絶対安静にしてもらなわいともういつ生まれてもおかしくありません」 つい数日前に急に言い渡された入院生活。 もちろん、24時間張り止めの点滴をつながれていたため、 部屋からでることもなく、寝たきりで安静にしていました。 なんでそうなったのか、全然理解ができない。 それなのに、センセイの説明は続く。 「現在、妊娠23週と4日ですね。 今、うまれてきても、生存率は2割。 赤ちゃんに障害が残らずにすむ確率は4%程度です。 つまり、今は1秒でも長くおなかにいれておくことが大切です。」 もううなずくことしかできませんでした。 そしてまた、「ご家族は?」と聞かれる・・・・。 両親が1時間後には病院にきてくれていました。 しかし、センセイは両親ではなく、だんな様を呼ぶように、と。 すでに里帰りをしていて、離れたところにいることを説明しても、 「いつ出産になってもおかしくないので、だんなさんにきてもらってください」の一点張り。 結局、休暇をとって、きてもらうことに。 だんな様への説明。 「現在の週数では、赤ちゃんが生きて生まれてくることさえ困難です」 言葉もでない。 前の病院に入院になった日から、自分ひとりで説明をきいたときも、 パニックになっても、泣くことはなく、耐えてきました。 でも、だんな様がそばにいてくれると、我慢できずに、ないてしまいました。 その日からの入院生活は、今までの入院生活とは全く気持ちでした。 「退院できるときは、赤ちゃんが生まれたときです」 つまり、妊娠7ヶ月に突入する前の入院ですが、 出産まではもう病院から出られることはない。 ベットの上で絶対安静の日々。 それでも、私にとっては、お腹の中の双子ちゃんが 元気にうまれてきてくれることを祈るばかりで、 出産予定日まで入院していてもかまわない、そう思うことしか出来ませんでした。 それからの日々は毎日、ウテメリン。 血管がほそいので、針の交換の率も高く、 腕はあっという間にあざだらけになりました。 途中、張りはおさまらず、マグセントを導入したことも。 ウテメリンは、なれればなんともないけれど、 マグセントはかなりの血管痛を伴いました。 針の部分をあたためつづければ、血管痛をごまかすことはできましたが、 温タオルが冷えてしまうとすぐに痛みが生じ、 夜にも何度も目が覚め、看護師さんに何度も交換をしてもらい、 なんとかマグセントをやりすごしてきました。 マグセントを体験するまでは、私の人生の中で一番いたかったものは、 心臓カテーテルでしたが、それを超える痛さのマグセントでした。 それでも、双子ちゃんのため! 痛いなんて言いません、いえ、言えません。 これがあと何ヶ月続いてもかまわない。 だから、一日でも長くおなかにいて欲しい、それだけを願う日々でした。 |